2012年2月 1日 (水)

NHK 西郷隆盛と鉄舟

 NHKで西郷隆盛と鉄舟の話があった。

 うーーんとうなってしまった。 良い番組だ・・。

 幕末、官軍の攻撃で江戸が火の海になるかならないかという瀬戸際

 刀を質屋に入れるほど貧しかった鉄舟は

親友から大小の刀を借りて官軍の陣営に向かった。

 官軍が警備する中を「朝敵 徳川慶喜家来、山岡鉄太郎まかり通る」

 と大声で叫び、堂々と敵兵の真ん中を歩いたという。

西郷に会った鉄舟は、海舟の手紙を渡し、

 徳川慶喜の意向を述べた。

 このとき、西郷から5つの条件を提示される。それは、

1 江戸城を明け渡す。

2 城中の兵を向島に移す。

3 兵器をすべて差し出す。

4 軍艦をすべて引き渡す。

5 将軍慶喜は備前藩にあずける。

というものであった。

 このうち最後の条件だけは

 鉄舟はうんとは言わなかった。

 しかし 西郷は「これは朝命でごわす」とすごんだ。

 これに対し、鉄舟は、「もし島津の殿様が同じ立場であったなら、

 あなたはこの条件を受け入れるか」と反論した。

 しばらくして

 西郷は「おまんのいうことは   もっともで ごわす」

これによって江戸無血開城がすみやかに おこなわれた。

 西郷隆盛は言った。

「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、

 始末に困りもんど。じゃっどん

 この始末に困る人でなければ 

国家の大業は成し得られもはん」

 全国にはいっぱいの小中高の学校がある。

 そして、そこには一生懸命働く先生が大勢いる。

 あまり親から感謝されないかもしれないが

 早朝練習、土日、無給で子どもの相手をして

放課後は家庭訪問をする。夜遅くまで

教材研究をする。 もちろん 中には困った教師もいるだろうが

それは少数。

 日本の教育は、時間外も無給で  名もいらず一生懸命働く先生方に支えられ

今まできた。

 なんか  西郷隆盛の言葉から 懐かしい 

 そんな先生たちが 次々に 目に浮かんだ。

 金金金の世の中になり     

誠意を持つ人が 消える国には なってほしくない。

教育予算が少ないのに  日本の教育が優れているとしたら

そんな

身を捨ててこそ 浮かぶ瀬有り  の ボランティア精神が

あったからだと思う。

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2012年1月29日 (日)

ドラマ教育を依頼

 京都教育大学の初等理科の講義で、友人の立命館大学の武田先生に来ていただき、ドラマ教育の演習をしていただきました。

Dorama714

 学生は一生懸命、取り組んでいました。

 いつもながら、ドラマ教育の必要性を感じます。

 教師になったとき、やはり感受性とか表現力とか、子どもたちに気持ちを伝えるために、すごく必要だからです。

 良い演習でした。

 していただいたのは、全員に三態変化する水(氷、水、水蒸気)になってもらうというものでした。

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2012年1月25日 (水)

大学時代の本当の恩師にあいさつ

 私は京都工芸繊維大学時代、暗かった。自信がなかったし、金はなかったし、勉強もしなかった。(でも大学院の時はよくしたな)

 したことといえば・・・・(大学時代の終わり、私の父親は病気で亡くなった)

私の支えの親父がいないのだから、いろいろなアルバイト(長期休暇は大正区の飯場にととまりこんで土方、友達の紹介で夜中のビルの清掃、定時制高校での講師及び警備、家庭教師、新聞配達・・・)。学生運動。ベースギターも少し触ったな・・・。

  当時・・・国立大学大学院の年間の授業料は36000円(学部の時は12000円)

洛西寮費 月300円 

 立派な父だったが病院に入っていて、仕送りが少ない私のような貧乏人でも

授業料が安いので大学生を続けられた時代  

 当時でも 幼稚園より安い授業料と言われた国立大学だから 貧乏人でも大学に通えた

 でも、食費は稼がなければならない

 そんな雑音(金、金、金・・・・・・金を手に入れてどう食べるか)にふりまわされ

 人間的にも弱かったので 怠惰にもなった・・・

 そんな頼りない私を、助手の住本先生だけが話し相手になり助けてくれた。

 私が大学にあった銀杏の実を大量にあつめて食べようとして、銀杏の汁で顔をでっかく腫らしたとき、助けてくれた。

 私がお金がなく腹を空かして下宿で寝ているのを電話をかけておこし、そして近くのうどん屋で飯をおごってくれた。

 英語で留年しそうになったとき、取り組みの仕方、考え方でアドバイスをしてくれた。

 彼は本来は私の大学院の研究をジャッジをするべき指導教官でないのに、氷結ゼラチン法、マロリー三重染色法、原子吸光分光器の使い方、写真印画紙の処理法、そして蚕の飼育方法など

 細かく指導してくれた。

 論文をジャッジする教授のY先生は私に研究上で一度のアドバイスもなかった。

 指導の全ては助手の住本先生であった。

 なんと

 先日・・住本先生から聞いたことだが・・私がしていたフォルマリンによる固定、氷結ゼラ

チン切片さらに原子吸光分光器のスキルや知識は教授は持ち合わせていなかったという。

 私が出た後、原子吸光分光器による昆虫体内の金属イオンの濃度の推移を研究する学生はいなかったという。

 だから、教授が私をほっておいたのではなく、私のしている実験方法はもちろん結果も住本先生以上にわからなかったということが真相らしい。

 教授が声をかけなかったのは・・・冷たいのではなく・・・私の研究を知らなかった。

だから学者的謙虚さで   声をかけなかったというのだ・・・・誤解していた?

 話を元に戻して 

 住本先生は論文を積み重ね、京都大学で生物学のドクターをとられたが、当時、当然だと思った。

 彼は技術屋や検証屋ではなく・・・クリエイティブなサイエンティストだった。

 応用生物学ではなく生物学。

 ただ、孤高としていて人間関係が決してうまいとは言えず

論理重視で生きていたので

 京都工繊大のカラーにはあわなかった。

 そんなところがすごいと思ったし、私も世渡りではなく、真実に生きようと思わされた人だった。

 そんな住本先生が病気をしておられると聞いたので、一度はあいさつをと思って

 京都教育大学の授業の後、伏見駅近くで私と工繊大の後輩の畑さん(高校の先生)と彼にあった。

 彼はまるで昨日のことのように私のことを覚えていた。私は大学時代に戻ったような錯覚に陥った。暗い想い出もフラッシュバックしたけれど・・・・・・・・・

 中学校の教師をしていた私がそうであるように、彼が私を強烈に覚えている理由は、私が彼を困らせる悪ガキであったということを、今もって悟らされた。

 病気どころか顔色が良く、勢いがよく、元気そのものの80歳だったので、

実に うれしかった。

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2012年1月22日 (日)

シカ及びイノシシによる農作物被害の推移

 農林水産省鳥獣災害対策室資料のシカ、イノシシ被害状況の推移を示します。

             シカ     イノシシ  (単位:万円)

平成15年    394993    500991

平成16年    391232    559215

平成17年    388447    488563

平成18年    430951    552831

平成19年    468040    501186

平成20年    581633    537555

平成21年    705874    558970

平成22年    774997    679856

 

 捕獲数は毎年増やしているにもかかわらず、農業被害は毎年増えています。

特に、平成20年、これまで多かった被害がイノシシからシカへトップの座を譲っています。

 もう一度、捕獲数の図を見ましょう。

Sikahokakusuu137_2

 ハンターの人数が減っているので・・・・・・もう・・・・お手上げ状態

いくら捕獲しても、ねずみ算的に増えるシカ   だから

シカの悪さを止められない・・・・・・・危機的状況とうことが明らかです。

 

 ヨーロッパではオオカミを導入。ドイツの自然保護企画担当のマグヌス・ベッセルさん

の話ではヨーロッパでオオカミを再導入し28カ国で今、2万頭を超えるといいます。

マグヌスさんは「オオカミは怖くない。導入後、殺された人はいない」と話しています。

 

 さて、日本ではハンターの判断ミスで人が獣と間違われて毎年、何人か死んでいます。

 ここ数年、シカとイノシシによる農業被害が100億円をこえる額にふくれあがっています。

被害額ははかれませんが・・・・自然が壊れてはじめています。

シカに樹皮を食べられ、木が枯れています。

下草(珍しい野草が絶滅の危機)が無くなりつつあります。

 

 農林省はそろそろ人間によるシカやイノシシの頭数管理が不可能である事実を

公にしなければいけないところに来ていると思います。

 

 

 

 

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止められない?シカの被害

 兵庫県では野生鳥獣による農林業被害が平成20年に約9億円だったという。そして、そのうち約半分(4億3千万円)がシカによる被害だという。

 これは北海道、長野県、京都府に次いで全国4番目の被害の大きさだという。

 シカはお金に換算できない自然の健康度(森林下層の植生、シカの媒介するヤマビル、マダニの増加)にも悪い影響を与えている。

 

 さて、なぜ・・・・シカは増えているのか?? 

 何の対策もとっていないから、シカが増え、被害が増えているのだろうか????

 実はそうではない。

 下の表を見てほしい。

Sikahokakusuu137

  これは全国版だが、兵庫県でも上の図と同じようにシカの捕獲数は右肩上がりに増やしているのである。

 にもかかわらず・・・・・・・シカは減らないのだ!!

 

 これは危ない。

 

 というのも、今はまだ何とかしのげるが 明らかに 近い将来・・・・やばい!!

下の表を見てほしい。

 

 狩猟免許を持っている人の人数であるが

Syuryoujinkou138

 どんどん減っている。

 

 シカを捕獲できる人がいなくなりつつあるのだ。

 

 これでは、近い将来

 異常に増えるシカを狩猟によってコントロールできなくなるのは目に見えている。

 

 下草のない枯れた木だけが立ち並ぶ山々・・・・・今も目につきだしたが

こんな風景がますます増えるだろう。

 

 それでも シカの話を仕事場や友達にすると・・・・・・

 かわいいシカを殺すなよ・・・と脳天気な声ばかりを聞き、爆発しそうな気分になる

今日、日本オオカミ協会の丸山さんの壊れる日本の自然のデータを聞いて

背筋が寒くなった。(上の表よりもっと詳細で膨大な資料)

 丸山さんから

ドイツやアメリカのオオカミ導入の経過(オオカミは人を襲わない)を聞いて、

 

 うーーん  日本の不完全な食物連鎖の環

分解者 → 草やドングリ、木々 → シカ → (????不在)

 

 から考えて・・・・・・・・日本人の平和ぼけ、かわいい、かわいいだけの

動物愛護の精神に  ・・・  

本当に

まったくもって

うなだれ

考え込んで

しまった!!!

 

 

 

 

 

 

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2012年1月18日 (水)

今、学生に思うこと

60が目の前に近づいてきた。60と言えば、世間では明らかに仕事納めの年齢である。

しかし、大学で働いている教員の世界では、まだ若い方?に見える。

70代でばりばり働いている人が多いからだ。

さて、大学はそんな世界だが、

学生に本当のことを伝えるには、やはり若いことにこしたことはない。年の若さではなく

心の若さ・・・・・・しわだらけの顔だが・・・目だけを見ると・・・・若さにあふれていること

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そうありたい。

例え、60でも青年のように熱い若い気持ちで接することが大切である。

何度も言うが・・私はそうありたいと思っている。・・・・それで・・熱い気持ちって何だろう。

それは「自分はだめだと思い込まされない負けん気、なにくそという気持ち」

今の世の中、若者は偏差値で輪切りにされている。

だから、下の方の輪切りでは、元気がなくなる、傷ついてしまう。

うちの大学にも こんなこと↓ をいう学生がいる。

「何々大学へ行けなかったから、仕方なくここへ来た。」(^_^;)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

本当は・・君は才能の宝庫なのに・・・・磨けば光るのに

君は「俺はだめだ」と思い込まされている

 それで・・やればできるのに・・がんばれない・・・・君がかわいそうでならない。

だから、大学の4年間で、俺はやればできるんだという思い、

自分らしさ、自分の良さを見つけて、自分を大切にして卒業してほしいものである。

そうでなければ、大学に何百万円の授業料を払う価値はない。

一生懸命すれば、例え、失敗しても、後悔はしない。一生懸命することこそが大切なのだ。

一生懸命、がんばれ!!そして、思うほどうまくはいかないかもしれないが、少しは納得できる自分の未来を切り開け!!

私の周りにきた学生たちを・・・自分を大切にする思いを植え付けたいものだ。

 

 ・・・・4年間こつこつ採用試験の勉強をがんばり、教壇にたつことができれば

 勉強に苦しんだ過去を持つ学生は

挫折した子どもの気持ち、勉強に苦労している子どもの気持ちが分かる

本当に素晴らしい先生になると思う。

 

子どもが好きで子どもの目線で一生懸命がんばる良い先生を育てたいものだ。

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2012年1月16日 (月)

明日から高知へ 動く世界が広がったな

 今日は京都教育大で今年最初の初等理科教育の授業をした。

学生がなかなか良い発表、頑張ってくれた。

 それで、明日、姫路で仕事をしてから高知へ飛ぶ。大学の業務である。

 東奔西走。

 こんな生活をしていると

 思わず かわったな・・と思う。

「思えば遠くへきたもんだ」  教師を主役にそんな映画、そんな歌があったけれど

人生も半ばを過ぎ・・・・・・ふと立ち止まって振り返って・・・・そう思う。

 人としての記憶のはじまり   それは

 尼崎のチョコレート色をした庄下川横の小さな池で親父とフナ釣り、カエル取り

 阪神尼崎から出屋敷方面へ続く一杯飲み屋の屋台、三和市場の喧噪、漬け物、干物、様々な粉の山、人人人の雑踏・・・・・白い衣装で身を包んだ戦争で足を無くした軍人さんが杖に支えられうなだれている姿・・・・尼崎駅前のてきやさんのガマの薬売り・・・・街頭テレビで見た力道山とかみつきフレッド・ブラッシーとの壮絶な戦い、旅一座の芝居小屋、

 そして   カンカンカン   がらがらがら

 紙芝居のおじさんの自転車

黄金バット「ハハハハハハ ○○少年の運命ははたしてどうなるのでしょう

そして、黄金バットは怪力タンクを倒すことができるのでしょうか。この続きは

次週のおたのしみに  ハハハハハ」

・・・5歳の私は三輪車で行ける世界が全てだった

 三角公園、若葉保育所があった東難波町が北の頂点    東はメタンの泡が出る庄下川

 西はホルモン焼き屋が並ぶ出屋敷駅     南はまるで奈良のようなお寺の町・・・・・その一角の御園小学校

 今の5歳児では考えられない行動範囲の広さ、そして、親から自由だったほったらかしの世界だと

自分ながら感心する・・・・・街頭テレビでアメリカの子どもの世界「ちびっ子ギャング」

がやっていたが、「ぼくら日本人と同じやな」そう思っていた。

それで

 どこに色町があり  どこに映画館があり  どこにキャバレーがあり

どこにパチンコ屋があり  どこにかくれんぼをするお墓があり、どこに大衆演劇の一座の

芝居小屋があり、どこにお菓子屋、たこ焼き屋、太鼓まんじゅう屋があるかを知り

町の津々浦々を三輪車で走り回っていた。

 このまま尼崎にいたら   ちょっと悪ガキになっていたかもしれない

 親父の会社の社宅に

うつることになって

パチンコ屋が全くない  イチゴ畑が少し残る

西宮の鳴尾に引っ越したので

ちょっと勉強するような雰囲気になり  今がある。

 そんな 自転車、三輪車で動き回る世界が原点としたら

今は考えられない広がり

 甲子園にすみ  普段は近くの姫路で働き 週に一度

京都へ行き  スクーリングで北海道、東京、熊本へいく

仕事の世界が

いつの間にか

めちゃくちゃ・・広がった・・・・

ちゃぶ台で親父から正座させられ

戦争の話を聞いていた頃から考えると 想像のできない世の中になった

 

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センター試験終了

 センター試験終了

 ずっとたっていた。

 

 しんどかった。

 

 トラブルが無くて、誰からもとがめられなくて、

空気を吸って水を飲むように、感謝を意識せずに受験生が帰っていって

 

 試験を頑張った以外のことは脳裏をかすめず・・・・・・これであたりまえ。

 

 一生懸命することで達成する    そんな仕事。   

 でも

 新聞によると 他の色々な大学で  色々なことが 起こっていた。

 うううううんん   この件は まだ熱い話なので    冷めてから(1年後ぐらい)

  書こう

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2012年1月 9日 (月)

日本生物教育学会第92回全国大会シンポジスト

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 1月7日、ポートアイアンドにある兵庫医療大学にて92回目の日本生物教育学会全国大会がありました。私は大会会長の建先生よりシンポジストとして参加、発表してほしいと依頼されていました。それで発表させてもらいました。

 テーマは「30年間、忙しい中学校で生物教育を実践してきたその軌跡を伝えてほしい」という感じで発表してほしいということでした。

 

 建先生はもう82歳をこえておられる大御所、断るわけにはいきません。

 彼の指示通り、パワーポイントで公立中学校及び附属中学校の実践を報告しました。

後で、色々な方々から良い発表でしたと褒められたので、うれしかったですね。

Seibutudscn0002

 

 

 インドへ行って、新たな研究テーマも見えてきたし、今回の生物教育学会でもいろいろな刺激を頂いたし、新たな年、またまたやる気が出てきました。

 

 シンポジストの面々や岩本先生、秋吉先生との会話からも元気を頂きました。

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2012年1月 2日 (月)

インドトラを見る旅その3

 明けましておめでとうございます。

 このブログを読んでくださっている方々が、今年も良い年でありますように。

 私の方

 年末、インドへ行っていました。自然保護区でトラを見るためです。色々見聞をしてきました。理科教育というか自然教育に役立つ体験でした。

 今年も、こんな毎日を送っている私ですが   よろしくお願いします。

 さて  さて 下の記事の続きです。  はい。

やはりインドは生き物に多様性がありました。朝方は本当に寒くて2℃、昼過ぎは25℃・・・・寒暖の差が激しいです。服の調節が大変でした。だから、生き物も日本で見られるもの・・・熱帯で見られるもの・・・様々でした。

 町中の鳥では

 ムクドリがやたら多いと感じました。しかも、1種類ではありません。

Indohakkacommonmyna3

Brahminymyna2

Bankmyna36

 一番下のムクドリはおそらく珍しい部類でしょうが、上の2種類は人家にうじゃうじゃいました。

 カラスはイエガラスが多いのですが、下の写真のチャイロオナガも多いです。

Tyairoonaga87

 他に日本と似た真っ黒のカラスがいました。全体に大きいのでワタリガラスかもしれません。それともハシブトガラスかな・・・・??

 スズメもいました。

日本より少し大きめのイエスズメでした。ほっぺの黒い模様がないので日本のスズメと違うのはすぐ分かります。

Iesuzume16

後、インコもスズメ並に多いです。ホンセイインコです。

Honseiinnko64

 ランタンボールの保護区でウサギを見ました。耳が長かったですね。

 これは何ウサギなんだろうか?

Usagi699

 インド、自然探検のすすめ

 ペットボトルの水を必ず飲み、ほこりを現地の人々のように口と鼻を布で覆いシャッタイウトし、辛い辛い辛い辛いカレーに慣れ、寒暖の差を服の重ね着で調節でき、排泄をワイルドにできるのであれば(良いホテルならば心配はない)是非、インドへ一度行くことをすすめます。

 トラと生きる人々の姿が見られて感激しました。あなたもどうぞ。

 色々な階層があり、1ルビー~10ルビーのチップを用意することをたくさんすすめます。

 裸の子どもを抱いた見るからに貧しそうなお母さんから、手を合わせられたときは思わず涙が出そうになりました。しかし、いちいちチップをあげていたら、次々に現れてお金がなくなってしまいます。

 手を合わせる人に「ノ ノ ノ !!」と言いながら、まっすぐ振り向きもせずに歩くのが苦手な人は    インドには行かない方がいいでしょう。

 便所にはティッシュを渡す仕事をしている人が、やはり、いました。

 色々な仕事が階級で固定されている社会ですから、チップが必要ですね。

 二度と来たくないという人がいましたが、私はまた来たいと思いました。

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インドのトラを見る旅その2

 ランタンボール自然保護区のすぐ横にガネーシャの寺院があり12月28日、大々的なお祭りがありました。

P1010887

 着飾った人々が往来していました。この写真のすぐ横は自然保護区です。古い寺院の石壁がありますが、トラは自由にこちらへ来られます。

 しかし、人々は誰一人怖がっていませんでした。何十年もこの道を通ってトラに襲われた人がいないからです。

 少なくとも今、メス2頭(母親と娘)が右側を縄張りにしています。それでも人々は怖がりません。

 それと・・・

自然の中にいる草食動物は割と簡単に見られました。

アキシスジカ

Akisisujika89

アキシスジカより大型のシカであるサンバー

Sanba063

 そして野生のウシの仲間であるニルガイ

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 私のジープは見つけられませんでしたが、他のジープがインドガゼルを発見したそうです。

 

Wanitokawasemi51

 クロコダイルも大小様々な個体を発見しました。上の写真はミドリショウビンとクロコダイルのツーショットです。

 

Harumansika84

 ハルマンラングール(サル)とアキシスジカが仲良く、草や実を食べていました。木の上にラングール、そしてその下にアキシスジカという案配です。ラングールが木の上から木の実をぽろぽろ落とすのでそれをシカが食べているようです。また、一緒にいるとトラを発見しやすいのです。

 そんなこんなで一緒にいるのでしょう。

 結論

 インドの人は生き物と一緒に生活しているということでした。フンは燃料に、残飯は動物のエサに・・・・人も動物と同じように大空の下で大も小も、そして女の人も男の人も・・・・排泄することに何の抵抗もない、おおらかな民でした。少なくとも農業従事者は・・・。

 今もお菓子がほしくて、大勢のどもたちが私たちの周りに集まって来ました。

 私もインドに生まれ、食べるものがない、なにもないなら・・・この子どもたちと同じようにするでしょう。

 どうにか食べ物を見つけないと、弱ってしまいます。

 ギム ミー チョコレート ・・・・・・別に心をうっているわけではない。今も生きるため

なんですね。

 ランタンボールに隣接する学校(私設の養護学校)にも行って、話を聞きましたが、健常児でも就学率が50%を切るそうです。この養護学校は校長先生たちが捨てられた子どもたちを住まわせて、教育をしていました。だから全寮制??

 インド人に聞くと

 トラを絶滅から守ろうという思いは一般の人々にはないそうです。生活することで大変でトラに関心がないからです。

 トラを神様として崇めてはいます。

 しかし、金になるならばトラを殺す人は大勢いるでしょう。13億人いる国ですから。そのうちの誰かがですね。

 でも今のところ ランタンボール保護区では

 トラは人の生活圏には来ないし、一般の人もトラの生活圏には入りません。

 肉食動物の側が人間を恐れることはあっても、トラの横に住む人間はトラを恐れていませんでした。

 「共生できている」ということです。

 その素晴らしい現実を 今回、インドへ行って知ることができました。

 これは 最大の収穫ですね。

 

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トラを見るインドの探検から帰ってきた

 12月25日から31日までインドへ行っていました。トラと周辺の村を見るためです。トラが人間とどう共生しているのか・・・・

 すごく気になっていたので、・・・

 結論を言うと、行って良かったです。見ると聞くとでは大違いでした。一見は百聞にしかず。感動しました。

 デリーからアグラまでの250kmをバスで移動しました。途中、13人乗りの三輪タクシー、7人のりのオートバイ、ウシの糞を女の方がこねて丸い燃料にこしらえていました。ウシ、ウマ、ヒトコブラクダ、ゾウ、アカゲザル、ブタ、イヌ、ヒツジ、・・・・人間と一緒に生活していました。

Indomatinaka0988

 アグラからランタンボール国立公園までさらに220km、これもバスですすみました。

 どこまで行っても、人そしてウシ、ウマ、ヒツジ、ラクダ、イヌ、そしてウシのフンでつくった丸い燃料の山

Katiku0988

 そしてランタンボール自然保護区につきました。

結論を言いますと

 5回、サファリーをしましてトラのまともな姿を見たのは一度だけです。

それでも幸運だと言われました。トラが木々の間を横切るところと水に入るところ。

Tora576

Tora612

 水辺の鳥は

Mizubetori0988

   ダイサギ、アオサギ、カイツブリ、ササゴイに似たアカガシラサギ、ハクセキレイ、アオショウビン、インドトサカゲリ、ツクシガモ、バン、セイタカシギ、イソシギ等を見ました。ウは日本で増えているカワウではなく、くちばしがすっとまっすぐに長いヘビウでした。

 陸の鳥は

Rikutoriiu0988

Kokoro0981

Kokoro0989

  トビ、ハゲワシ、ミサゴ、ワシの仲間、キジの仲間、ホンセイインコ、フクロウの仲間、インドコマドリ、ハネムネウチワドリ、シリアカヒヨドリ、シキチョウ、ジャングルヒヨドリ、ムクドリの仲間3種類、イエスズメ、チャイロオナガ、ワタリガラス等を見ました。

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2011年12月23日 (金)

プロのトレード

 森山良子がちょっと前に言っていたけれど

 すごく気になることとして

 コンビニで

「お客様・・・これでよろしかったでしょうか?」

まさに今選んで買っている最中だのに

過去形で尋ねられるのが    

 気持ち悪かった   それで 気になっていたが

 その言い方は   燎原の火の如く  広まって 今はなんともないが。

 それで最近は、

 プロの移籍問題がすごく気になるな。

 一番 関心があるのがメジャーのレンジャースと交渉しているダルビッシュである。

 なんか知らないが、私には想像できない金額・・・何十億という金が飛びかうそうなのだ。

 私のように長く・・・公立中学校十数年 神戸大附属中学校十数年 計三十年

全体の奉仕者だぞと言われ  超過勤務関係のない

 ボランティア精神を大事に    と

 言われ続けた   公立教員をしていると

うーーんと・・どうなっているの・・・と、うなってしまう。

というのも  公立学校の教師をしていたので

石の上にも三年

 例え・・・冷たい石であっても 我慢し

三年座り続ければ、

 きっと 尻のぬくもりで 暖かくなるだろう。

 そう思っていた。
 

 忍耐と努力、そして我慢が大事 そして

  貢献をし  仕事場を応援する・・・・・・と思っていた。

そう 別の言い方をするとしたら

 「桃栗三年 柿八年」  

 「梅は酸いとて十三年」

 「柚子は九年でなりかかる」

 「柚子は九年の花盛り」

 「柚子の大馬鹿十八年」

 「枇杷は九年でなりかねる」

Uchiyamarakugo_2

 ちょっと調子にのって羅列しておりますが

 ようはですな

 やーーーると おもえば どこまでも  やるさ

 それが 男の 魂じゃないか

 義理がすたれば この世は闇だ

なまじとめるな   夜の雨

 一度決めた道は 時よ時節よ  変わろうと ままよ

ずっと我慢していこう  途中で挫折するな 継続は力なり

 そんな精神で 大学の教師になって  はや  4年。

 でも  ここはプロの世界の端くれだった????

 なんか 立命の知り合いYさんも 同志社の知り合いSさんも 

 東京理科大の知り合いKさんも

 あれれ  すぐに移動する

 ダルビッシュみたいに 大金が飛び交うわけではないが

 一本釣りのスカウトがかかり   条件の良いところに 変わる  

 ある場所で評価されず 違う場所で 良い評価してくれるところがあれば

変わっても良いんだ   そんなもんなんだ   それが大学なんだ!!

 最近、納得してきたわけだ。

でも  でもね  でもね

 でも  恩義がある  義理がある

時よ 時節よ 変わろうとままよ   甲子園の内山は おとこじゃないか

まあ 義理があるならば  ねんきがあけるまで

ご奉公しなければ・・・とも思う。

でも、正当に評価してくれる 誘いがあれば

苦渋の選択ありか・・・・・・・・捨てる神あれば拾う神あり・・だからね。

 四面楚歌・・・誰も評価しない背水の陣を引かざるを得ない状況に

ならないために!!

業績を努力して重ねる今の自分の姿勢だけは これからも

続けていこう   

プロなんだから  

   周りの移動を見て

そんなことを

ちらっと

考え込んでしまった。

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2011年12月22日 (木)

やばい南方系北方系のお話

 日本人同士で「あなたはお目々ぱっちりの縄文系美人ですね」「あなたは色白の弥生系美人ですね」よく言いますよね

 でも  う・・・・・う・・・ん、う・・・・ん 最近 考え込んでしまいました。

 これ・・日本人同士では・・にっこり「そう言われるんだよ・・私は・・・」で終わり

ですが

 そして なんのストレスも感じず

会話している方々は

日本の縄文時代、弥生時代の日本と大陸との関係にロマンを巡らせ

それをさかなに酒を飲むんですね・・・・。うん。

でも

 それは日本だけの話で

 ちょっと前に東南アジアの方々が

 大学へ来ていて

 よく見ると だいぶ 個人差があって   考え込んでしまいました。

というのは

 日本的な極東アジア人的な方から   明らかに色が黒く彫りが深いインド的な方もおられて

 そんなとき

 不用意に「あなたは○○的・・・あなたは○○的」とは言えないんです。

 それはその国の最近の・・もしかしたら今現在の民族がそのまま階級にはめ込まれている社会かもしれないからです。

 日本のように酒のさかなにして話をするような軽々しい問題ではありません。

 いろいろな肌の色・・・すなわち白人とわれわれ黄色人種など有色人種が

混在している国へ観光で行ったとき・・・思うことですが

 ある○○の店は入っている人は有色人種がほとんどで

 ・・・路地にはアーリア系がいっぱいいるのにそこに・・・入らない。

 つまり 店を利用する人が肌の色と相関があるわけですね。

 さらに 仕事が肌と相関関係にあるのです。

 つまり ○○の仕事は○○の人

 そんなところで形質のことをいうと

・・・これは殺人事件に発展しかねません。

 だから「あなたは色が黒いから縄文系」「あなたは一重まぶただから弥生系」

なんて軽々しく言えないのです。 これは日本の平和な社会だからできる会話です。

 タイムマシンで弥生時代に行けたとして

 もしかしたら 

 縄文人が弥生人に殺されている現場に出くわしたら

・・・・・・とんでもない問題ですね。

 まあ

 私がそんな  ことをいう理由は

 私は縄文系だと自分では思うのです。ずっと前も・・そして今も

両親が鹿児島だし・・・みるからね

 なおさら思うわけです。

 しかし

 鹿児島県人つまり薩摩隼人の気概は

 ・・・・・・・明治の頃の歴史が証明しているので何とも言いませんが

 熱いのです

最近

ちょっと

むかっ・・となったことがありまして

まあ

取るに足らない

還暦近い大の男ならば

軽く いなさなければならない   問題なんでしょうが

酒の席だし・・・・

彼が言ったのは こういうこと

「内山さんは 目がドングリ・・・縄文系・・南方系やね・・・

日本では征服された民ですよ  あなたは

弥生時代に・・・ハハハハハッハ」

 私は顔では笑っていましたが

心では「こいつ殺したろか・・」そう思いました。 

 握り拳を作って・・・暴力をしないように必死に我慢しました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 西南戦争に行った先祖、清右衛門、日露戦争に行った先祖八朗、

日清戦争に行った先祖、太平洋戦争に行った父景明

はははは・・・・・と

笑ってごまかした私

日本の為と死んでいった鹿児島の私のご先祖さんに申し訳たたない。

 努力ではなく見た目の形質で馬鹿にするその人間を

許せないと思いました。

 1000年続いたかもしれない友情もたった一言で

がらがらと音をたてて・・・崩れる感じがしました。

 私も自戒しなければいけませんが

他の人の生まれつきの形質をねたに 馬鹿にした話をしてはいけない・・・

その人の生まれてからの努力と関係のない話で笑いをとるようなことを

してはいけない

そう思います。

もしかしたら その人が 涙と共に親から語られてきた歴史があるかもしれない

からです。

 今日は友人を一人うしなった話を書きました。

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2011年12月20日 (火)

インドの自然保護区へ行くぞ!!

 長く仕事に追われてきた。

 大好きな理科およびその教育にかかわることができて幸せである。

 しかし、まだまだやり残したことは多い。

だから そう簡単にはリタイヤできない。

 息子が10歳で稼がなければならないということもある。

 それとともに、子々孫々の代へ大切なことを先に生まれたものとして伝えなければならないことがある。

 だから やり残したことがまだまだある   そう感じる。

 その伝えるべきことというと、やはり、一番、憤りの感じていること。

 つまり、見せかけの自然保護ではいけないという憤り。

 食物連鎖の完全な環を日本に復活させねばならないという思い。

 日本ではまだ食物連鎖の環は閉じていない。

 頂点にいるべき消費者が欠如したままなのである。そして、それに多くの人が

別段  何とも思わない。

 食う食われる関係が成立しないのに。

 これでは 異常な繁殖を起こす生き物が出てきて、自然は崩壊する。

 まあ、何はともあれ   だからこそというか・・・・

 インドへ行きたい。インドでトラと人間の共存の様子が見たい。

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 ドールを見たい。

Douru0036

 ドールはイヌの仲間。

美しいアクシスジカが見たい。

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 見たいから行く。人間と野生動物がどうおりあいをつけて生きているのか

ただみたい。だから、行く。

 でも、水は気をつけろよ・・・食べ物・・・・・虫・・・・・毒蛇・・・・・・

 いろいろ心配も多い。

だけど

 この年じゃないか

 今

 感性を研ぎ澄ましていなければ  

 研究が枯渇する  やる気が枯渇する  熱いまなざしが枯渇する

 だから この冬 インドに行く

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