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2012年3月 7日 (水)

しみじみ残念に思う廃刊「楽しい理科授業」

Meijirika234

 3月と言えば、「楽しい理科授業」(明治図書)の廃刊が心に浮かび、悔やまれる。この本は2010年3月に523号をもって歴史を閉じることになった。この本を引っ張ってきたのは、編集長の樋口雅子さんである。彼女は教育雑誌、教育本を毎月、何冊も編集し世に出してきた張本人であり、まさに明治図書の生き残り、繁栄、ブランドを支えてきた大黒柱の一人である。そんな彼女でも時代の流れに逆らえず、理科教育雑誌から撤退せざるを得なかった。文化の衰退、元気の衰退と嘆きたくなるが、情報のメディアが本からインターネットへと激変する流れはもう誰にも止められない。

 さて、そんな歴史的な月刊雑誌の最終号に私は記事を書かせていただいた。目次を見ると、左巻健男さん、楠田純一さん、中村敏弘さん、宮内主斗さん、小森英栄治さん、山本智一さんら酒を一緒に飲んだことのある現場の実践家、そして学会畑の森一夫さん、遠西昭寿さん、山際隆さん、森本信也さんら・・・ほぼ本を通して知っている方々ばかり。ネットではなくじっくり活字で学ばせていただいた方々。

 今、うーーん、こまったもんだ・・そう思えてくることがある。それは、今まで目にしていた上記の方々の声が殆ど聞こえなくなったことである。理科教育雑誌が1つ消えれば、その分、チャンネルが1つ閉じ、声が減る。刺激が減る。参考にできる情報が減る。ネットでもいっぱい情報を手に入れられるが、文責のある活字より質の高い情報ではない。玉石混淆であり、「ほんまかいな」と疑いたくなる質の低い情報も多い。

 そんな中で私は参加していませんが、左巻健男さん率いる理科雑誌「TikaTan」が季刊で発展継続しているそのエネルギーと心意気には感服する。

 もう後戻りできないが、トップダウンではなくボトムアップ、仲間の交流で理科教育の実践力を鍛える責任ある文章で構成された理科教育本が新たに生まれてくれないかと切望する。特に・・明治図書から・・・・・。

「楽しい理科授業」私の最後の文章

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 教師の生き方を先輩から学んだ

1 はじめに
 私が京都の大学院を終えて甲子園球場のある西宮市立中学校へ赴任したのは昭和54年のことである。30年以上も前のことである。京都ではお金もなく腹を空かした研究生活をしていたので、中学の先生になったときは、本当にうれしかった。特に、若者であるにもかかわらず、「自分の家をローンで買うことができる信用があるんだよ」と先輩教師から教えられたときはうれしかった。貧しくて、宙ぶらりんで、不安定で自信のない研究生活だっただけに、安定した職業に就けたという思いは、涙が出るほどウキウキしたものだった。
 しかし、そのウキウキした気持ちは赴任して1週間もたたないうちに粉々に砕け散った。当時、私の地域の中学校は校内暴力が吹き荒れていて、新米の私は満足に授業を進めることができなかった。朝早くから夜遅くまで生徒指導で七転八倒、いじめられっ子は生徒ではなく教師である自分ではないかとさえ思った。ついに体育の先生が生徒に殴られ、長期休業された。私は自信をなくし、いつやめても不思議ではない精神状態に陥った。そんな時、出会い勇気をいただいたのが古市景一先生である。全国レベルの著名な理科人ではない。しかし、尊敬する現場で出会った理科人であり、私の師匠である。
2 芦屋の古市景一先生(極地研サークル)
 授業が成立しない。どうしたらいいのか、自信をなくし精神的に参っていたとき、西宮教研集会の主催で「自然探検ニュースの取り組み」という講演会の案内を見た。講師は古市景一先生(芦屋市立山手中学校理科教師)であった。私はわらを持つかむ気持ちで講演に出かけていった。古市先生は理科授業で自然探検ニュースを発行し、しかも、子どもたちの声を生かして、授業を展開されていた。彼の通信は年間60号を超え、「珍しもの」、「変わりもの」、「初めて見るもの」、「その年最後に見たもの」などの子どもたちの報告を載せ、子どもたちが持ってきた自然物は文化祭で展示もされていた。毎日の仕事に埋没するのではなく、理科教師としてのアイデンティティーを保ち、生き生きと子どもと共に学びを続けておられた。教えるだけでなく、子どもの声に耳を傾け、探究者としての顔ももっておられる。私は「これだ!」と思った。
 そして、ひたすら古市先生のまねをした。それが自然通信「大社の自然」である。私は古市先生から教わった態度、つまり子どもたちの声はどんなささやかなものでも共感し、「面白そうだね」と記事にしていくことを続けた。はじめは子どもたちから「ウッチャン先生、続くのかな?」と半信半疑で見られていたが、半年、1年、2年と続く中で理科の授業も少しまともになり出した。試験のできの悪い子でも、ウシガエルや昆虫の取り方がうまい子がいる。彼らは私の授業では一目置かれる動物博士なのだ。私は古市先生との出合いによって、はじめて理科教師になれたのである。
3 近藤浩文先生
 次に出会った先生が近藤浩文先生である。「甲山の自然散策」という催しに参加したとき、彼に初めて会った。彼がインストラクターであった。私と同じ西宮市立中学校の先生であることもそのとき知った。近藤先生の優れた点はたくさんあった。ありとあらゆる植物の知識があった。近藤先生は「六甲の植物」(神戸新聞出版センター)という本を神戸大学の先生方と出されたが、幅広い知識で代表は近藤先生であった。まさに「歩く植物事典」であった。
 彼の優れている点は実は植物の名前を知っていることではない。話が面白いのである。そして、五感を通して植物のすばらしさを伝えられるのである。
 例えば、こんな調子である。
 「この木、何本ありますか?」私が数えて「えーーと、このあたりに15本あります」すると彼は「さんごじゅうご・・・・珊瑚樹ですね」こんな調子なのである。「甲山の高さは何mだと思いますか?きれいな形ですね。お椀を伏せたような・・誰かさんの胸・・・いやいや・・まあ・・それで甲山は魅惑的ですね。みわく・・309m」「六甲山の頂上は観光客が多い。ゴミを捨てていく・・困ったもんです・・・ほんまにゴミで臭いな。くさいやま・・931m」 また、近藤先生の観察会はなめる、かぐ、なぜる、目をつぶり葉の音を聞く・・そんな自然とのつきあい方であった。私が授業でギャクを入れて、周りを和ませるようになったことや実物重視の姿勢は、すべて近藤先生の影響で始まったことである。 
4 前田保夫先生
 前田先生は理科室の痕跡から学んだ偉大な方であった。実は私と入れ替わりで違う学校へ行かれたのだった。彼は「変動する日本列島」(岩波新書)を書かれた藤田和夫氏と六甲を歩き、教材開発をされていた。中学校には大規模な岩石園があり、理科室には地学関係の膨大な教材やプリントが残っていた。後に彼は神戸市教育研究所から何冊も地質関係の本を出された。理科教師の学びで学校は変わると思わされた。
5 おわりに
 古市景一先生、近藤浩文先生、前田保夫先生の3人を紹介した。3人とも神戸・阪神間の現場の先生であった。しかし、彼らは子どもたちと共に学ぶ姿勢と大学人も舌を巻く研究姿勢があった。中学校という職場が生涯学習者という生き方を愛する者にとって魅力的な場所であることを後ろ姿で教えてくれた方々である。

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コメント

やまびこさん、大阪の理科教師さん、コメントありがとうございます。ぶらりぶらりと書いていますので、反応していただきますと、大切なことと感じたことをこれからも記録しようと思います。

投稿: うちやま | 2017年3月29日 (水) 22時30分

 前田先生のことを見ていたらたどりつきました。先生とは墨染の学校で何度もお会いしていたかもしれません。
 前田先生と全く同じ道をたどってしまっていたとは、私には想いもよらないことでした。
 今は大学での教員養成と公立学校現場での教員育成を研究しています。まだまた勉強不足です。たまに拝見させて頂きます。

投稿: 大阪の理科教師 | 2017年3月17日 (金) 23時15分

 行間、字幅のつまったまともな書き方もされるんですね。でも、いつもの気ままなとんだ文字での書き方も好きです。楽しんでいますね(^_^)

投稿: やまびこ | 2012年3月 7日 (水) 23時18分

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