自然の見方

2016年1月13日 (水)

【自然の見方36】続き~尾崎豊「卒業」から自由を考える~

 尾崎豊は「この支配からの卒業」と歌いましたが、

そんなセリフから・・・私はソクラテスのことが思い浮かびました。

ギリシアのソクラテスです。

 なんで尾崎豊からソクラテスに飛ぶんや・・

 笑われそうですが。

 さてソクラテスはギリシアの体制、特にソフィストが

はびこる社会にうんざりしていました。

前に述べたプロタゴラスらソフィストたちです。

 だいたい、ギリシアは民主主義といっても、周辺の国を

征服して、その国の民を奴隷にして、その労働の上に

あぐらをかいて栄えている国です。

 真理や正義やいうたところで、プロタゴラスの相対主義

が拍手喝采をあびる状況です。

 奴隷制のギリシアだから当然と言えば当然です。

 奴隷にするのを悪と見なせないのです。

自分たちギリシア人が奴隷にされたり殺されたりするのは悪です。

「人間は万物の尺度」と言ったプロタゴラスは、別の言い方をすれば

自分たちギリシア人にとって都合の良いことは善で、都合の悪いこと

は悪である。つまり、自分たちの判断こそが善悪になると言うわけです。

プロタゴラスの「人間は万物の尺度」の人間とは

ギリシア人に置き換えることができます。

 ソクラテスはそんなソフィストがあふれるギリシアにうんざりしていたのです。

うそ八百、偽善、口八丁、金儲け主義の教師面のソフィストが大嫌いな

ソクラテスを・・・・・・尾崎豊に重ねたのです。

 この支配からの卒業。ソクラテスはソフィストを批判します。ソフィストや時の

支配者からソクラテスは煙たがられます。

 しかしソクラテスはガラスを割って、「自由になりたい、この支配からの卒業」

というリアクションはしませんでした。体制やソフィスト批判を猛烈に行い、

その行為に明け暮れたのです。

 それでもって

 自由どころか、時の支配者の法律から死刑の宣告を受けます。

 自由になるどころか、死刑・・・。

 彼は逃げたでしょうか。逃げずにこう言いました。

悪法も法律は法律。従いましょう

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 私たちは自由に行動しようと言います。私もけっこう自由に生きてきました。

しかし、自分の意思で自由に、○○に生きようと決めますと、けっこう次の日

目が覚めますと、やっかいな足かせになります。

 例えば、酒ですが「酒に束縛されたくない。明日から禁酒にしよう」

と決めます。

 それで次の日から、昨日の自分自身の「自由という名の決意」に縛られて

我慢を強いられます。「こんなんは自由じゃない。やっぱ飲もう」

また飲んでしまって・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・次の朝

二日酔いで「あああ、また酒の奴隷になった・・酒から逃げられへん」

と自己嫌悪と酒による頭痛で落ち込みます。

 意思をなくし自由に飲むと酒の奴隷になる。

 酒から断ち切ろうとすると我慢という自由と

真逆の行動をとらなければいけません。

 自由を貫くというのは「重い荷物を背負って生きるがごとし

自分の自由意思を貫くためには忍耐、我慢が必要ということ

になります。

 本当の自由は窓ガラスを割ってせいせいして卒業ではなく

何らかの目的のために、じっと我慢して生きることなのです。

 

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2016年1月12日 (火)

【自然の見方35】尾崎豊「卒業」から自由を考える

 私もいずれ隠居の身になると思います。

仕事がなくぶらぶらするお年寄りは隠居なんだそうですが、

体は老化で動きが鈍くなりますが、自由で良いだろうと

思う人が多いと思います。

 「ほんまに隠居は自由なんやろうか?」

 「それにしても・・・自由ってなんやろう?」

 と考え込んでしまいました。

 今の学生は尾崎豊という歌い手を知らないと思いますが、

「卒業」という以下の衝撃的な歌詞の曲を作詞し歌ってい

た人です。若くして亡くなったので、今もカリスマ的に愛さ

れている人です。

下が彼がつくった歌詞です。

***********************************************

行儀よくまじめなんて

出来やしなかった

夜の校舎 窓ガラス壊してまわった

逆らい続け あがき続けた

早く自由になりたかった

信じられぬ大人との争いの中で

許しあい いったい何 解りあえただろう

うんざりしながら それでも過ごした

ひとつだけ 解ってたこと

この支配からの 卒業

***********************************************

 尾崎豊は自由になりたいと叫び、学校のガラスを割った

という思いの歌を歌ったのです。

 私はこの曲が流行った時、中学校の教師をしていましたので、

オオオ!!と肯定、否定関係なく・・複雑な思いがしました。

 まさに職業柄、いくつかの学校の教師や活動を見てきましたから、

いろいろイメージしてしまいました。

イメージ1 部活の鬼顧問で毎年、県大会、全国大会へと連れ

       て行くクラブ指導で、そこに所属する生徒のおかれた立場

イメージ2 校則が厳しく、先生方も校長から上意下達でし

        めあげられていて、遊びが感じられない雰囲気の学校

イメージ3 学校というより家庭で過保護か、厳しすぎるか、放任か・・

       何らかの問題がありその悩みをうちあけ助け合う友がいない生徒

 しかし、これは私の勝手な思い込みかも。

 もしかしたら

  家族や先生方、地域の方も良い人ばかりだけれど、

ただ、むしゃくしゃするから窓ガラスを壊し、逆らい続け

楽な方へ流れていて、こんな思いになったのかもしれない・・

 また時代背景もあると思います。

 当時の学校教育の雰囲気です。

 昭和20年代、戦後10年間ぐらいはアメリカからディーイ

 

子どもの興味を大切にし「なすことで学ぶ」という経験主義的な

教育でした。

 当時の理科の教科書を見るとびっくりします。

「服はどう、ほせばいいかな?」太陽との関係の内容ですが、

陽の当たる南側に干せば、「ばい菌」はよく死にます。

 健康な「うんこ」はどんな色をしているかな?

「ばいきん」や「うんこ」なんていう生活言葉が書いてありました。

・・・・・・・・・「これが理科かいな!!!」でした。

 しかし、ソ連がドカーーーン!!

 人工衛星「スプートニック」を打ち上げ、科学教育が充実している

という情報が入ってきました。

 「洗濯の干し方をしていたらあかんやろ」となりました。

そして、軍国主義教育に戻った訳ではないのですが、

やたら難しい分厚い教科書が復活しました。

系統主義教育ですね。

 昭和30年代後半から50年代ぐらいまで。

 すると

落ちこぼれ、理科嫌い、不登校、校内暴力

偏差値至上主義、受験競争、大学レッテル評価・・・・・・

 様々な問題が出てきたのです。

 そのような時代の後半に尾崎豊が「卒業」を歌ったのです。

 だから、万人の共感を得たのかもしれません。

 色々書いてきましたが・・

それで

 何が言いたいのかというと、この歌を聴く人は、自分の体験を通した

イメージで聞くのであって、真実は

「甘えん坊で怠惰な人で束縛されたくないのか」

「純粋で不条理な世の中に耐えられないのか」のどっちか、

分からないのです。

 その人の生きてきた背景によって同じ見聞きでも判断が変わる。

これを認識の領域固有性と言います。

 ギリシア時代のソフィストの代表プロタゴラスなら、

こう言うでしょう。

 ある地域のひとが学校のガラスを割ればそれは悪い行為  

 しかし

 校則でがんじがらめ、抑圧している学校でならば

そこで学ぶ生徒はガラスを割ることは正しい行為

人の判断はそれぞれである

人間は万物の尺度である

「ガラスをわって何が悪いんですか」

「自由を求めて良いじゃないですか」

となります。

そもそも正義とか悪とかそんなものは

相対的なもんだからね・・・・

児童の世紀を書いたエレン・ケイならこういうでしょう。

抑圧するような学校だから悪いのよ。

「教育の最大の秘訣は教育しないことです」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 というわけで、卒業という尾崎豊の歌で

こんなことを思いました。

後半に続く  CMではなく数日後

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2015年4月15日 (水)

【自然の見方34】探検・発見・ほっとけんの3けん主義の思想的背景

 本ブログを開いて、長い年月が過ぎました。

タイトルの探検・発見・ほっとけんの3けん主義もなんか、

ブログ制作者である私にとって、耳にたこ状態、

あたりまえの言葉になりました。

 馴染みすぎただけに、この言葉・・・・

 この言葉の思想的背景について、久々に

振り返ってみたいと思います。

1 探検発見ほっとけんは羅列ではない。

 さて、探検・発見・ほっとけんの3つの言葉は

単なる羅列ではありません。

 これは、思考力・判断力・表現力や関心・意欲・態度と同様で、

後ろへ進むほど上位の概念であります。

 思考力・判断力・表現力は情報活用能力とも似ていますが、

先ず、自分に何が必要か思考します。そして、必要なもの

(情報)を集め、その中で真に重要なものと不要なものを判断し、

よりわけます。必要なものを取り入れ、消化吸収します。

それを活用し、自分らしいものを造り、後に発信・表現します。

このように、思考力・判断力・表現力の並びは階段をのぼるような

概念上の順番です。

 関心・意欲・態度も同様です。何かに関心を持つ。すると、

楽しい発見をする。その発見がさらに学びたいという内発

的動機付けになり、意欲につながります。

その意欲は、前向きな態度となって表れます。階段をのぼる

ような概念上の順番です。

2 失敗から学ぶ

 それでは本題の「探検・発見・ほっとけん」に移ります。

先ずは探検から始まります。計画を立てずに探検か?

とつっこまれそうですが、

 ここには次の思いがあります。

 なすことで学ぶ・・・

ジョン・デューイの問題解決学習の考えです。

失敗から学ぶ、試行錯誤の大切さ、自由試行の大切さです。

3 量から質への転化

 探検したいときに探検するのです。

 探検すれば、

「へえ、なんで?こんなところにいるの。すごい!!」

というような発見があります。驚きです。

 また、雨で風邪を引いたとか、何もいなかったとか、

お金がかかりすぎたとか、よっぽど危険な所へ行くのではなく

身近な自然探検の場合、失敗は最良の学びになりはずです。

 発見や失敗の積み重ねは

 新たなやる気を生みます。

そして、発見が積み重なると、その自然に対する知識

やつきあい方の経験が増えます。

 発見の量はヘーゲルやエンゲルスがいうところの

「量から質への転化」、

つまり発見の量がその自然に対する愛おしさ

という質に影響します。自然に対す畏敬の念、守ろうという心情

を生むのです。

 -20℃の氷が-5℃の氷になっても氷という質は

変わりません。でも、さらに熱量を加えますと、ある瞬間

つまり0℃のとき、突然、氷から水がにじみ出てきます。

融解ですね。あるボリュームの熱量によって、氷から水へ

質的に変化します。量から質への転化です。

 これと同じで、発見の積み重ねが、その地域の自然に

対する愛おしさに質的変化を生むのです。

 つまり、探検発見ほっとけんは単なる羅列表現では

なく、階段をのぼるような上位概念への移行です。

4 情報は発信するところに集まる

 また、私は次の思いもあります。

 パソコン理科通信の代表だった楠田さんの名言

「情報は発信するところに集まる」に共感しています。

 情報を収集し、選択し、加工し、発信するとう並びではなく

情報は先ず不完全でも言いたいことがあれば発信する。

そうすれば、非難や批判、共感、依頼など様々な情報が

あつまる。それに柔軟に対応することで、自分の考えは

しなやかに鍛えられ、本物に近づくことができるという

考え方です。

 ねらいや計画を立てて探検するのではなく、安全に

問題が無ければ、先ずは探検しようということです。

 素人的野次馬根性というか大阪のおばちゃん精神というか

私にはそんな部分がいっぱいあるのです。

 それが「ほっとけん」と3けん主義という関西的な「お笑い」

で表現する意味でもあります。

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2014年4月10日 (木)

自然の見方33【STAP細胞小保方さんの会見から見る科学の精神】

 小保方晴子氏の理研への不服申立の会見のニュースが

昨日、ありました。

 目にうっすらと涙を浮かべ、まぶたがパチパチしていました。

 「疲れているんだな、大変だ」そう思いました。

 この会見を見て、理系の人間はどう判断すべきか??ということを

述べたいと思います。小保方さんの個人攻撃ではなく。

1 実証性の問題

 「スタップ細胞はありまーす」

 「私は200回以上、見ました」との発言。

これが本当ならば、説得力があります。

しかし、200回以上みましたというのでは、証拠には

なりません。

 誰もが納得する証拠を示さないといけません。

言葉だけではだめなのです。

実験で試し、その結果を多くの人が納得できる形で示すこと

つまり実証しなければなりません。

2 再現性の問題

 小保方さん以外で誰がしても(多くの人)、どこで(いろいろな場所)しても、

いつ(様々な時間)しても、スタップ細胞はできるという報告がなければ

なりません。

 しかし、今のところ失敗の報告以外にありません。また、

小保方さんは「誰かはプライバシーにかかわるので公表できないけれど

私のやり方でできた人がいます」と言っていますが、誰かを公表すべきです。

3 論理性(筋道だった説明)の問題

 「スタップ細胞は『細かなこつ』で必ずできる」

「こまかなこつ」というあいまいな表現ではなく、

再現できる「具体的な数々の条件」を提示すべきです。

論文にするというのは筋道立てて説明することです。

 言葉に表せない『細かなこつ』があって、そのこつがつかめていないので

多くの人は失敗するのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 その『細かなこつ』を明確な作成条件として明らかにして、

公表することが重要です。

以上

実証性、再現性、論理性の観点で気になることを書きました。

これをクリアーしたら

小保方さんは復活できると思います。

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2013年11月29日 (金)

自然の見方32「つたえたい」~宍粟市立神戸小学校の実践~

 今日はかんべ小学校の「つたえたい」について述べます。

「ふしぎだな たしかめたい つたえたい」というかんべ小学校の

研究テーマの最後の言葉です。

これで,かんべ小学校の実践から学ぶ・・・というテーマは

おわりです。

さて

 人は自分の思いを伝えたいという欲求をもっているものです。

 生まれながら,自然に。

 そして自分が体験したり発見したりした感動、喜び、

新しい価値観、新しい考え方を知らせたいと願います

 多かれ少なかれ人はね・・・・・(私もそうです(^_^;))

 これが自然です。

 だから、音楽があり、美術があり、スポーツがあり、

文学があり・・・・・

人の世はそれで、文化が誕生しました。

 体験してわかったこと、感動したことを

伝えたいという気持ちは

 子どもも当然、あります。

 それでは、学校で

 その伝えたいという気持ちを上手に、

しかも、スムーズに言語で表現させるには、

どのような取り組みが必要でしょうか?

 かんべ小学校はなにをしているでしょうか?

1 話し方の基本スキルの訓練

 私は話し方の訓練が必要だと思います。

訓練といえば、

ヘルバルトが唱えた

管理・教授・訓練を思い出しますが

彼の四段階教授法

さらにツイラー、ラインの五段階教授法は

教師主導、定型化、画一化・・・・と

批判されましたが、しかし、

ほんとうのところ、

そう捨てたものではないと思います。

 社会全体が貧乏で効果的な教育方法のなかった時代、

ドイツだけでなく

日本やアメリカ・・世界中に広まり

絶大な教育効果をあげたのです。

その後 定型化と批判されましたが・・・。

 プラグマティズム、子ども中心主義のジョン・デューイ

がヘルバルト学派のアンチとして登場しました。

 デューイはヘルバルトと真逆のように言われますが

学びのプロセス(問題解決学習)を見ると

「最初に子どもありき」か

「最初に教材ありき」か

の違い以外は、類似点の方が多いぐらいで、

デューイもまたヘルバルトの大きな影響を受けていたのです。

 学びには

 知的技能、運動技能などのスキルの習得の

ための訓練は必要なのです。

例えば

道と名がつく武道では

先ず、基本を徹底的に仕込みます。

また、スポーツ・・・・・

 あのイチローもバッティングセンターで

来る日も来る日もバットさばきの練習を

していたそうです。

 まずはフォームを身に付けること

 これが大事なのです。

 型を極めれば、血となり肉となります。

そこまでいって

はじめて

それから

アドリブをすればいい。

守 破 離 の考えです。

では、その話し方のスキルとはどんなことでしょう。

①私は○○だと思います。そう考えた理由を○○です。

②私は○○したら、○○になると思います。

 なぜなら、○○だからです。

③そのために○○で確かめたらいいと思います。

④実験結果は○○になりました。

⑤○○の実験結果から、○○であることが

わかりました。

 など、まずは結論を述べて、そのあとにその理由を

述べるという話し方です。

 そのために、かんべ小学校では以下の掲示物を

つくって、スキル修得に力を注いでいます。

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2 つたえたいと思えるのは?

 良いリーダーがいる学校、みんながハイハイと手を挙げ

発言する学校・・・・・・

話し上手な子どもが多いな・・・・

うん

そうかな

私は

聞き上手な子が多いな・・・

そう思います。

 良きフォロアーがいるから、良きリーダーが育つのです。

委員長に立候補した人に

「お前、何 のぼってんだよ。バカじゃないの」とか

「われ、何を いきっとんねん。あほちゃうん」とか

冷ややかな

そんな環境であれば、

誰もリーダーになろうとはしないでしょう。

① 人の話は目で聞く。

② 納得するときは、相槌をうって聞く。

③ 大事な話はメモをとる。

 共感と傾聴、人を思いやる心を育てるには

まずは上記の①②③の形を徹底させることが大切です。

 すなおに

つたえたいと思い

手をハイ!ハイ!とあげるという

「話せる環境をつくる」とは

実は

「良い聞き手を育てる」ことなのです。

私は

そう思います。

以上、

私がかんべ小学校で開催された

兵庫県理科研究発表会で

「かんべから学ぶ」という主題で

講演させていただいた内容でした。

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2013年11月27日 (水)

自然の見方31「たしかめたいその2」~かんべ小学校の実践~

1 問題解決学習の流れ(掲示物)

子どもたちがやる気を出すには、見通しを持った実験、目的意識を持った実験

を通して、自分の考えを確かめる学びが必要です。

 つまり、問題解決学習です。そして、その学びの流れを

かんべ小学校は下記のように、きちんと掲示物で示しています。

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2 教師が教材の工夫

 かんべの先生方自身が、理科を楽しんでおられます。ホームセンター

や100円ショップへ出かけ、実験の教材にならないか、

探されています。理科をワクワク楽しんでいる先生の姿こそ

子どもたちにやる気を出させる原動力になります。

 下の写真は卵のパックで実験をしているところです。

卵のパック・・・素晴らしいアイデアでした。(一人一実験を実現)

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3 自由試行(Messhing about)

 ○秒で○往復、目的にあった振り子を子どもたちが作っている場面です。

失敗を重ねながら、目的にあった振り子ができたとき、振り子の性質を理解

しただけでなく、ものづくりの達成感や理科そのものの愛着がわきます。

 失敗を重ねながら、探究することを自由試行と言いますが、まさにそれです。

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 たしかめたい・・・・・子どものその思いを具現化するためには

かんべのような様々な要素が必要であると言えるでしょう。

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自然の見方30「たしかめたい」~神戸(かんべ)小学校の実践~

 今日は宍粟市立かんべ小学校の県の理科研究大会の

2番目のテーマ「たしかめたい」について述べます。

 「たしかめたい」という表現なので、

主語は「子どもたち」ということになります。

 子どもたちが自ら「たしかめたい」と思うところが重要です。

「たしかめさせる」のではないのです。

思わず子どもが「たしかめたい」なのです。

 子どもが自ら「たしかめたい」と思わせたいという

意志がこのテーマには感じられます。

 「子どもが自ら、たしかめたい」と仕組むことを

内発的動機付けといいますが、そのような研究なのです。

*反対語「外発的動機付け・・・テストで良い点をとったら、動物園に

つれていってあげるよ。など、ご褒美で頑張らせるやり方」

 子どもが自ら「たしかめたい」と思うには、

教師はそれなりの手立てをする必要があります。

1 意外性のある課題と認知的葛藤

 意外性のある課題を子どもに提示して、子どもに

「ええええ????なんでそうなるの??おかしいな」

と思わせる。このような子どもの「とまどい」というか

「心のゆれ」のことを

 認知的葛藤といいます。

 子どもは子どもなりに、学校の外つまり日常生活の

中で世の中とはこのようなものだと、自分なりの考えを

構築しています。 

 この子どもの授業前に持っている考えを

素朴概念と言います。

 それに対して、理科の教科書で教えたい考えを

科学概念と言います。

 素朴概念を揺さぶるような意外性のある課題を工夫して,

子ども達に提示できれば

「あれ??おかしいな??なんで」となるのです。

 こんな葛藤がうまれたら、

 子どもは「しらべてみよう」と心から

思うようになり、科学的概念を学ぼうという気になります。

 意外性のある課題の開発は重要です。

2 探検・発見・ほっとけん

 自然と触れ合ういろいろな環境や活動を用意します。

これは「ふしぎだな」のところで言ったとおりです。

 探検すれば、いろいろな発見があります。発見を重ねると

その自然が好きになったり、新たな疑問がいっぱい出てきたりします。

「ふしぎだ」

だから

「調べてみよう。たしかめてみよう」

と高まります。

3 エンゲージメントを高め、やる気を引き出す。

 「エンゲージメント(Engagement)」という言葉がマーケティングの

世界でよく使われます。 どのような意味でしょう。

 エンゲージとは、

 人を引きつける、喜ばせるという意味があります。

 マーケティングの世界では

 エンゲージメントは、商品やブランドに対して

消費者が「好意を持っている」とか「満足している」状態を越えて

もっと深い「愛着心」を感じる状態をいうそうです。

 日本語では「きずな」などと訳され、男女間の「婚約」の意味に

もなります。

 さて、私は学校におけるエンゲージメントとは

① 学校に愛着をもつ。

② 先生や仲間の絆を感じる。

③ 教室で安心して,楽しく学べる。

④ 学びの有用性(将来に役立つという思い)が感じられる。

 などの状態だと考えます。

 だから、「子ども達の学ぶ意欲がわきあがる」

というような状態を エンゲージメントが高まっているといいます。

このエンゲージメントを高める授業の導入の工夫があって

「たしかめたい」という思いにつなげられると考えます。

(1) 「1時間の授業のねらい」は1つ。(多くて2つ)

 あれもこれもと欲張らない。1時間の課題は子どもの集中力から

考えて1つ,いくら多くても2つです。

(2) 「1時間の授業のねらい」は行動目標で記述する。

 「光合成の意味が理解できる」このような目標の書き方では

だめです。

 行動目標では「実験から自分の言葉で光合成の意味が説明できる」

となります。このような書き方をすれば、

子どもは授業のまとめのところで自己評価しやすくなります。

教師も子どもがわかったかどうか確かめやすくなります。

 具体的には、授業の終わりに「今日の実験で何がわかったかな?

自分の言葉でいってごらん」と指導と評価の一体化が行動目標では

可能になるのです。

(3) 導入で「物語風な語り」で課題に気づかせる。

 「リンキングのスキル+物語風な語り」が課題意識を持たせる上で

役立ちます。私は今、紙芝居やリンキングの実践研究をしています。

 詳細は省略しますが、紙芝居の教育効果を再認識しているところです。

 以上、授業で子ども達に「たしかめたい」と思わせる

別の言い方をするならば

 「課題に気づき、課題を追究したい」と導く手立てに関して、

準備すべきことを紹介しました。

 かんべ小学校では、このような導入の工夫がなされていたことを

お知りおきください。

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2013年11月24日 (日)

自然の見方29「ふしぎだな その2」~神戸(かんべ)小学校の実践~

 最近の子どもたちは自然に「不思議だな」と思わなくなったと言われます。

つまり自然に関心がなくなったと思われています。

でも、それは

果たして本当でしょうか?

宍粟市立神戸(かんべ)小学校の実践から考えてみましょう。

宍粟市も日本中で問題になっていることが起こっています。

つまり、少子化の影響で、小学校の統廃合がすすむということ。

また、宍粟のように都市部でないところでは、就職先が少ないということ。

農業をするのではなく、地元で仕事をしようと思えば、

公務員、教員、医者など高学歴でなければなれない仕事が

中心になります。兵庫県でも但馬、丹波、宍粟、淡路など

都市部から遠ざかると、教育熱心で大学進学率が高いのは、

地元に残ろうという思いと重なるのです。

このような状況で子どもの生活に何がおこるのでしょうか?

1 学校の統廃合で通学時間が長くなる。放課後の遊び時間が減る。

2 少子化で近所に同じ年頃の仲間がいないので、草野球すらできない。

 外で遊べない。

3 テレビゲームなどの遊びが普及し、家でひとりで遊ぶ。

4 大学進学に向けて家庭学習の時間が増え、外で遊ばない。

 自然豊かな場所であるはずの宍粟でも、子どもたちは

自然と触れ合えないのです。

かんべ小学校の教職員は、そこで

子供たちが自然に関心がないと思われているのは、

自然との付き合い方、遊び方を知らない、遊ぶ状況がないだけで、

自然との付き合い方を示しさえすれば、子どもたちは

火に油を注そぐように、めらめらと自然への関心を

燃えたぎらせてくれるのだという思いで、以下の取り組みをはじめました。

「学校が自然との付き合い方を示し、自然との遊び場

 体験場を学校に創造する」

 今、かんべの子どもたちは生き生きと自然と付きあっています。

 様々な自然の「ふしぎ」に出会い自然に関心を示しています。

では、その自然との付き合い方、仕掛けとはどのようなことでしょうか?

 以下がそれです。

 一つ一つだけででも、素晴らしい実践です。

1 学校玄関に設置されているミニ水族館(揖保川など校区の

生き物を展示)

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2 学校が持つ田んぼと畑での農業体験

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3 アユが遊泳する中庭の丸池(アユがコケを食べきれいな側面)

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4 1人1ポットの園芸栽培

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5 子供の生き物発見の報告を展示する階段コーナー

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6 かんべの自然を紹介するコーナー(四季を感じる)

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7 用水路のビオトープ化(メダカが繁殖する環境づくり)

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8 子どもたちがつくった餅米や農作物を食べる・販売する

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関心・意欲・態度

これについて考えたいと思います。

私は

自然への関心が高まれば、探検しようという意欲がわき、

探検すれば素晴らしい発見をし、その発見が積み重なれば

その自然が愛おしくなり、大切にしようとほっとけなくなり

態度にあらわれると思っています。

 つまり探検・発見・ほっとけんの自然3けん主義です。

関心・意欲・態度とは探検・発見・ほっとけんの

見方なのです。

 かんべ小学校の子どもたちは

さまざまな体験・探検をします。また発見したことの

報告・発表の場を持っていますので、子どもたちは

ますます、いろいろな発見をしてくれます。

「ふしぎだな、調べてみよう」という思いを具現化する

場があるのです。

 都市部の学校で畑や田んぼは無理にしても

それ以外のかんべの取り組みは可能だと思います。

かんべの実践に学びたいところです。

* 用水路のビオトープについて

 利便性から全国の用水路は側面、底がコンクリート3面張り

になりました。

 これだと、水草が生えません。底に泥がありません。

水の流れないと、水たまりができません。

 ということは、水草に卵を産む魚(メダカ)の繁殖ができません。

底にすむドジョウや淡水貝などの生物がすめません。

 水が流れない冬、たまり水がないので生物は死に絶えます。

かんべ小学校では土底、水草、水のう回路、石を積み重ねた側面で

水路をつくっています。

 サワガニヤトンボ、メダカの宝庫になり、子供たちの

楽しい遊び場になっているのです。

 ちょっとした工夫で学校は子どもたちの勉強場だけでなく

遊び場になるのです。

 以上、かんべ小学校から学びたい自然との付き合い方の

工夫です。

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自然の見方28「ふしぎだな その1」~神戸(かんべ)小学校の実践~

 宍粟市立神戸(かんべ)小学校が平成25年度の

兵庫県小学校理科授業研究大会の開催校になりました。

 かんべ小学校の研究テーマは

「ふしぎだな たしかめたい つたえたい」でした。

 先ず、「ふしぎだな」について書きます。

 学校教育で、子ども達に

「なぜ??不思議だな。調べよう」と思もわせることが

重要なのでしょうか。

 かんべ小学校の実践から考えてみたいと思います。

 さて、その前に学力とは何か?という話からします。

 「俺は学力が低いんだよな」とか

「フィンランドの子供は学力が高いらしいよ」とか、

人はちょくちょく学力という言葉を口にします。

 では、学力とはどのようなものとイメージして、話しているのでしょうか?

 それで、「学力とは何か?」と聞いてみますと、

たいていの人は 試験で良い点をとるとか、

偏差値の高い学校の入学試験に合格したとか

・・・・そんな返事をします。

 この前、京都教育大の村上先生と話をしていて

マルチプル・インテリジェンスという見方を聞きました。

ハーバード大学のハワード・ガードナー教授が提唱し、

広まっている理論です。

ガードナー教授は人間の潜在的な能力を測るものとして

以下の8つの知能を上げています。

1 言語的知能                    Word smart 

2 論理的数学的知能             Logical-mathematical smart

3 空間的・視覚的知能            Picture smart

4 身体的・運動的知能            Body smart

5 リズム・音楽的知能             Music smart

6 対人関係の知能                 People smart

7 内観(自己評価・メタ認知)の知能    Self smart

8 自然・環境の知能              Nature smart

 人間は誰でもこの8つの知能を持っています。また、

それぞれの知能は、かなり独立的(各各の相関の強さは今後の

研究課題)で、どの知能が発達しているか、

その程度やバランスは一人ひとりで違っています。

それが「個性」になります。

 「僕は数学が得意だけれど、運動音痴で」とか

「私は音楽が得意だけれど、理科は苦手」とか

自己紹介で出てくるような違いです。

 相関がある知能もあるかもしれませんが、

かなり独立していて、相関は少ないようです。

 また、これらの知能は遺伝にもよりますが、

環境すなわち学習でも、高められます。

 このような知能、さらに学力を鍛えるために、

学校の考え方はどう変わってきたでしょうか。

 以前(といってもすごく昔、50年ぐらい前)は

知識がいっぱいあって、穴埋め問題のテストで

高得点をとれる子どもが、知能が高く、学力があると

言われていました。

 つまり暗記力がある子どもです。

 でも、それではダメということになっていきました。

丸暗記はしているけれど、大学に入ることだけが

目的で、いったん入学すると勉強しない、遊ぶ、

勉強嫌い・・・というような具合です。

 日進月歩で進む現在社会。

 昨日の知識は古臭くなり、昨日の価値観が

意味をなさなくなる・・・・・。

 どんどん新しい情報が洪水のように流れ込んでくる現在、

大学で学んで得た知識はすぐに役立たなくなります。

 だから、有名大学を出ても社会で通用しない、

プライドだけ持っているという鼻持ちならない人間が

増えた・・・これは困ったことでした。

だから、今は学んで得た知識より

学ぼうとする姿勢

何歳になっても 学び続ける意欲や

思いやりや共感する心を土台に

謙虚に学習し続ける人が重要視され

る傾向が強くなってきたのです。

 学歴社会、レッテル社会の歪みが

価値観を変えたとも言えます。

 彼は一流の○○大学卒業

なので エリート管理職が約束されている

という価値観が崩壊したのです。

○○卒業というより、今何を頑張っているか

社会のめまぐるしい変化にどう対応しようとしているか、

そんな人間が価値ある時代なのです。

だから

学力の見方、以前は

知識・理解が大切ということで

真っ先に出てきました。

でも

今は、学力の一つに

情意的な側面である

関心・意欲・態度を入れ

先頭に持ってきたのです。

つまり

学力を構成する4本柱を

以下のようにしたのです。

1 関心・意欲・態度

2 思考力・判断力・表現力

3 運動技能・知的技能

4 知識・理解

(*上は文科省の表現と少し違います)

長い戦後の学校教育の

努力

七転八倒

試行錯誤

自由試行

諸外国の成果の参考・引用

などの集大成の結果

先ず「なんでそうなるの???

おもしろさそうだ・・・調べてみよう」

という関心を持ち、前向きに学習を

しようとする子どもの育成こそ

重要であるという考えに到達したのです。

 当然のこととして

 そのような前向きな姿勢を

何歳になっても持ち続けるためには

学力だけでなく

豊かな心

健やかな体も

必要であろうという

ということになってきました。

つまり

 「いきる力」です。

 別の言い方をすれば

 エンゲージメント

 モチベーション

 セルフエフィカシー(自己効力感)

 セルフエスティーム(自尊感情)

 ポジティブで分析的な考え方(メタ認知・認知的方略)

をもった子どもの育成です。

 このような人を育成するには

つまるところ

「不思議だな???なんでやねん??

調べてみよう」

という気持ちを最初に子どもに

持たせることが大切になります。

宍粟市立神戸(かんべ)小学校の

実践を振り返ったとき

「ふしぎだな」を

テーマの先頭に選んだ着眼点は

そのような意味で

素晴らしいと思うのです。

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2013年11月 4日 (月)

自然の見方27~パソコンから夢を考える~

 大学時代はパソコンそのものが「夢、あこがれ」でした。

だから、パソコンは仕事ができなくても良かったのです。

ベーシックプログラムで山崩しゲームを作ることができ

ぐらいでも、うれしかったのです。

 今日は「夢、あこがれ」について書きます。

 大学時代、お金がなかった。それで電卓が買えませんでした。

「なんで???電卓ごときに・・・。100円ショップでも売ってるよ・・・」

若い人からは、そう言われそうですが、

 私の大学時代は電卓がまだ高価だったのです。

5万円ぐらい、しました!

それで物理実験の最小二乗法でルート計算

・・・・・・時間がかかってしんどかった。
 
 大学院になって、NECがTK-80を発売しました。

マイコン(パソコンと言わずマイコンと言っていた)やベーシック

などのコンピュータ言語を学ぶためのキットでした。

コンピュータが身近な世界にやってきたと思って、うれしくなりました。

 というのも

 高校時代、アーサーCクラーク原作、スタンリー・キューブリック監督

の映画「2001年宇宙の旅」を震えが止まらないぐらい感動して

見ていたので、例え容量がちっぽけでも、人工知能が

身近なところにやってきたと感じたからです。

 でも、お金がなかったので、学生の頃は買いませんでした。

 1978年、大学院を修了し、働いた年です。

初めて給料をもらって、それを持って

電気屋さんにマイコンを買う気で、駆け込みました。

 電気屋さん(三宮の大きなチェーン店)

 コモドール社のPET2001、アップル社のアップルⅡ、

タンディ・コーポレーションのラジオシャック店のTRS-80、

外国製が店に並んでいました。どれも、とても高価でした。

 そんな中で私が買ったのは,日本製シャープのMZ80Kでした。

値段がが外国製に比べ安かったです。

日本で最初の一体型マイコンでした。

このマイコンの説明書は、ギリシア神話の「アルゴ船」を

あしらっていました。この船には神話の若い神がのっていて、

勇気を表していました。

なので、ためらわず,給料をはたいて買いました。

安いと言っても,月給が飛ぶぐらいの額でした。

 MZ80K。クリーンコンピューターというキャッチフレーズで、

ベーシックまでテープから流し本体に入れていましたので・・・

起動にやたら時間がかかりました。

途中、長すぎて寝たことも・・・(-。-|||)

 なぜクリーンコンピュータというのかと言いますと、

起動プログラムの言語をいれないと動かない。

いれないと「空っぽ」だからクリーンなのです。

この利点は、言語の進化とともに、コンピュータが

進化するということです。

なので

 MZ80Kを買って,袋から出すときわくわくしました。

「夢、あこがれ」が手に入ったという感覚です。

ちっぽけでも

2001年宇宙の旅で出てくるコンピュータ

HAL(ハル)9000型と同じコンピュータなのです。

電卓ではなく、自分で考える人工知能に進化するのではないか、

プログラム言語の進化とともに発展するクリーンコンピュータという

コンセプトのMZにそう感じていたのでした。

まさにMZ80Kは「夢、あこがれ」でした。

しかし、

 その後、シャープはNECに押され、売り上げ低迷、新機種の投入が

おろそかになっていきます。

(ただ、シャープは電子辞書や携帯、液晶の品質で今も勝ち残って

いますが・・)。

トランジスターやICの電卓では世界を牽引し、

日本で最初に一体型マイコン(パーソナルコンピュータ)を

制作したシャープでしたが、NECの8800シリーズ、9800シリーズの

前に後退を余儀なくされます。

 しばらくして

MZ80Kは押し入れの肥やしになりました・・・・。

 その後、私をわくわくさせた名器は以下です。

 NFC PC9801

 エプソンPC286VF

  初のノートパソコン、東芝のダイナブックJ-3100SS

 でも人工知能に近づくのではないか・・・というSF的な

 「夢、あこがれ」のわくわく感はしゅぼんでいきました。

仕事のツール,パートナーとして、

必需品になっていったのです。

 バッチファイルをいじって,自分で起動画面をつくったり、

パソコン通信をしたり、ロータス123で計算をしたり、

松や一太郎で文章を作ったり・・・まさに仕事のパートナーです。

 さて・・さらに

 ・・・40歳代 50歳代

パソコンはスマートフォンなどとともに、

恐るべき進化を遂げました。

 スマートフォンを例にとって考えてみると。

 音楽が聴けます。居場所を認知できます。

あらゆる種類の辞書代わりになります。

ニュースをリアルタイムで知ることができます。

人とメールや電話でコミュニケーションがとれます。

・・・・・・・・・・・・・MZ80Kと比較すると,性能は雲泥の差です。

でも

でもですね

パソコン黎明期にあった、SFの世界に片足を突っ込んで・・・

未来とふれあうような、「夢、あこがれ」のわくわく感がないのです。

 便利な高性能ツールではあっても、人工知能ではないことに

気づいたからでしょうか?

 人の「夢、あこがれ」もまた移りすぎ、固定したものではないという

ことでしょうか。

今、スマートフォンや最新型パソコンを買うときのわくわく感は、

便利なツール、仕事をする上で役立つパートナーを手に入れる

というわくわく感です。

 未来との出会いというような「夢、あこがれ」のわくわく感ではありません。

「夢、あこがれ」が現実になったとき、その「夢、あこがれ」は消えるようです。

そして,遙か向こうに

新たな「夢、あこがれ」が輝いてくれれば・・と思います。

いつまでも、「夢あこがれ」を持ち続けたいものです。

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